イマエダヨシヒト、ブログをはじめました
~「ある日ある時のひとコマから浮かび上がる新しい視座」~
というテーマでつづります。時系列はまちまちになりそうです。
およそヒトがつくり出す「モノコト」はよく眺めてみると、背景があり、
積みかさねられた日々の「なにか」が結実した、
あたかも果実のように感じます。
中には歴史や文化や風土のような背景があるかもしれません。
「なにか」の結実には様々な積み重ねが垣間見られ、実に興味深いのです。
ある日ある時のひとつひとつの積み重ねが、どんな今に繋がり
どんな未来をもたらすかに想いを馳せて生まれてくる
そんなワタシの視座を
面白がっていただければと、雑記風に、テキトーな軽ろやかさでつづってみたく思います。
どうぞよろしくお願いします。
《入社の経緯》

さて、初回はワタシの《入社の経緯》です。
第3者の視点でつづってみたく思います。
ワタシという存在を、あたかも別の存在が語るようにつづっていきます。
その男は、事業人になり30年が経った。
1991年、社会人経験ゼロで、曾祖父、祖父と父つづく会社に入社。

当時をふりかえると、のほほーんとバブルの世で東京での大学生活をおくり、
なんとなく気づくと一浪一留した24歳の名古屋のボンボン。
あまり思慮もせず、夏休みに遊びついでに実家のカイシャを見に行ったのだ。
世にいう「就活」という名目の、初の会社訪問だ。
幼少期に遊び場として実家のカイシャは存在した。
しかし、このカイシャの家系に生まれたにもかかわらず、
どんな会社なのか気にしつつも、ほとんど中身を知らず育った。
というよりも、誰もそのことを聞いても語らなかった。


のちに(明確な理由はわからないが)ここは述べたいと思う。
そもそも、バブリーで生意気なこの男の就活はナメ腐っていた。
「いろいろ見て回ったけど、行きたいところないわ!」とたった1社しか応募しなかった。
しかも聞いたこともない米国外資の投資銀行系証券会社だ。
どこで見つけたのだ?
最後まで行けば95%は通るからと言われ、なんの根拠もない自信でいい気になって臨んだら、
なんと最後の関門まで通ってしまったのだ。
が、しかししかし、ハードな最終ディレクター面接で、まさかのコケ下ろし祭り…。
散々ダメ出しされて、箸にも棒にも掛からぬという始末だ。
「おまえは田舎に帰って、お山の大将でもやるのがお似合いだ!帰れ!」
男は一言も発言するスキを与えられなかった。ただ履歴書を一瞥し、
マシンガンのようにコトバの弾が、男をズタズタにして終わった。
その後のやる気のない追加の就活で、なんとか1社から内定をもらうも、
内定者研修という、いわゆる当時の拘束研修に出たら
「アホくさくて、やってらんね~」という、これまたサイテーな動機に
もっともらしい言い訳を添えて丁重に内定を辞退。
そして、夏休み。
あらゆることをやりつくして、ヒマを持て余したこの男、
まあ、紆余曲折、訳あって、
なんと、ノリで父親の会社のバイトをやることにしたのだった。
さあ、この男、ここから、怒涛のシゴト人生がはじまる。
このふざけたような男が織りなす、
日々の「なにか」
今になって、ふりかえると、なんでもなかったようなことの中に
オモシロい事がたくさん見いだせてきたのだろう。
たぶん、新しい視座が年齢もあってか少しは芽生えたようにも感じるのだ。
これから、この男の過去のさまざまな場面から見出せる
ユニークな「なにか」をつづってみたく思います。
どうぞよろしくお願いします。